あけた

明けてました。おめれろうごらいます。今年はソフトに生きてこうと思います。性格的にも、仕事的にも。
人のことをとやかく言う前に、まずは我が身の足元から。好かれる人間になるなどとおこがましい事は言うつもりはないけれど、悪癖を放置する前に対策を講じるくらいの誠意は払って然るべきとして、余計な迷惑をなるべくかけないようにしようかと。うん、言っててものすごい曖昧だ。
去年より引き続き、見聞を広めることに努めようと思う。興味を覚えることについては、とりあえず一足踏み込んでみよう。身近な人と深い話をしてみよう。本を読もう、主に活字で。
加えて、元々計画性のある人間ではないけど、今年は幾分か真面目に目標を持って動いてみよう。惰性に流されやすいから、なあなあにしてしまわないための対策として。当面は、いつの間にか無かったことになってた日課を復活させようか。
時間がないのが言い訳にならないことは立証されてしまっているしね。年齢的にも、今年が鍔際。いや、もう手遅れかもしれんが。半端に絶望するのはやめとこう。よし、少しはがんばれる気がしてきた。

スルーするのも受け止めるのも

近藤淳也さんのこのエントリ。批評については思い当たる節も多々あるので取り上げる。

スルー力なんて無くていい

んーというか、「問題は『誰』の意見だからスルーする/しない」なんて人任せなところで結論出しちゃ、余計コミュニティ依存というか、環境に依った局所解に集約しちゃうんじゃないのかしら?と疑問に思うわけですよ。
いつも考えるのだけど、(批評の範疇に限定された)言葉は道具なのだから、誰々が発したから重みが変わるというものでもないと思うのですよ。あるとすれば、抽象的か、より具体的か程度の違いであって。(具体的なものは自分の目下の問題の解決の糸口になるかもしれないし、抽象的なものは自分の方向性や新たな経験を積むのに役立つかもしれない。)

近藤さんはアーティストの話を持ち出しているけれど、じゃあそのアーティストの作品なり作風というものは、自分にとって親しい人やあるいは全くの赤の他人が見たとき、急に作品が素晴らしいものになったり駄になったりするわけじゃない。受け手の感性の違いで様々な側面こそ見え、ただ事象はそこにあるだけ。

結論を先に述べてしまうと、批評をスルーするかしないかなんてのは、その表現者自身あるいはその表現者が生み出した作品のもつ方向性や伝達性に潜在する様々な問題に対して、より有効な意見かどうかを考慮して自らが取捨選択するべきことだ、と思うのですよ。自分が作品を生み出したとき、色々な思想や技術や挑戦、失敗点なんてのが混在しているはずだけど、それら整理し問題を洗い出したあとで、批評の中に望む回答があるかないか。あるいは予想だにしない回答が自分の今後に繋がり得るかどうか。そこには辛辣なものも、当てにならないもの、ただの罵倒などもあるけれど、人の感情のそれを取り除いてしまえば、そこにはただ言葉しかないわけで。あとは自分が自分(の作品)についてを把握していれば(かつそれらに対して熟考するだけの寛大さ、余裕があれば)、自ずとスルーするしないの基準なんてはっきりするんですけども。

私見の理想論を溢すならば、自分の「作品(創造されるもの、演出されるもの、思想など)」に対して真摯たれば、赤の他人の中傷に凹んだり、身近な人間の当たり障りのない意見に一喜一憂したり、リスペクトする人間の気まぐれな言葉に感涙する必要も全くもってないわけですけどね。まぁ、自分ができてないんですが。

おうトメ!撮影許可の要不要に気をつけろ

mod用の素材探しに海岸沿いをぶらぶらと撮影していたら、かなりの剣幕で怒られた。
プラントとかコンテナとか産廃とかのある映像を撮ろうと思っていたのだけど、どうもその中に、ある業者の、撮影してはまずいものまで撮ってしまっていたらしい。身分、経緯、動機を明かして、何とか「商売敵の偵察」の嫌疑は晴れたものの、全てのデータの破棄は余儀なくされ、それを条件に悶着は終結とされたものの、無許可での撮影はかなり言い咎められた。
自分の過失も業者の言い分も理解できるのだけど…しかし。他人様の敷地内に入って勝手に撮影するのは当然誤法度だろう。けれど、そうでない場所から遠巻きに撮影するとき、風景として写り込むそれらまで許可の要不要を取り沙汰するとなると…。「被写体の選出は難しいもんだ」と、結論付けておくべきなのかなぁ?俺の屁理屈か?

とにかく、近日集めた素材、友達と遊んだときなんかの無関係なデータまで消失したのはあまりに痛く…。

Fuccccccccccccccccckkkkkk

1時間前までCMSCSSを混同してたような上司にいらん入れ知恵をしてしまったら、「じゃあAtaw君、来週のコンペでこれ売りにするからそっくりなの1週間で作って」とか、MovableType指差しながら言うの。

ぼけがああああああああああああああああああああああああああああああ

何が「簡単そうね」だ、1年あったって出来るか!

「じゃあMovableTypeライセンス買うから1週間で覚えてね」だと?口から糞垂れる暇があったら鯖立ててから言え!もしくは経費で借りろ!畜生!

我が身につまされるというか

はてダで注目の記事になってたのだけど、以前から萌えというか同人(絵描き方向)に対して自分が持ってた考えと酷似してたので。ノウ板の膿が一気に吹き出たような叫び。コテ「会長」がその反論を悉く潰していく様は見もの。萌え絵描きは一度は読んどけ。絵に萌える奴も一度は読んどけ。

萌え絵描きとそのファンは死んだ方がいい<1日目>
萌え絵描きとそのファンは死んだ方がいい<2日目>

個性も信条も持たない作り手は、記号化し、お約束の守られたキャラクターを量産した方が、受けがいいし技術を磨かなくて済む。楽だし、誤魔化せる。同じ刺激を求めるだけの受け手は、既製品のキャラクターがお決まりの刺激を与えてくれる方が新たに考えを及ばせる必要がなくて楽。しかしそこに(大局的な)進歩はない。機械的作業と、ただの、シチュエーションとキャラクターを取り替えて同じ快楽を味わうだけの単純な消費の繰り返しがあるのみ。これは萌え絵の話だけには留まらないけども(薄っぺらなJ-POPだとか、ベタなドラマだとか、あるあるネタばっかりの芸人とか、まぁ蛇足なので言及しない)。

単純快楽追求の迎合の結果によって起こる多様性の消滅の恐ろしさは、マジョリティへのアンチテーゼとしてのマイノリティの駆逐、単純刺激の追求に奔走するだけの人間の量産である。「感性は人それぞれ」の魔法の言葉で思考停止して片付けてしまってはならない。自分の感性が既製品だと宣言するつもりなら、知ったことではないが。