謝るなよ柳沢さん

このところの一連のマスコミの不祥事を前に、丁度id:Dat3に勧められて読んだ、森達也さんの「世界が完全に思考停止する前に」が的確にこのマスコミと聴衆の関係の危険性を指摘していて印象的だった(これについてはDat3も日記に書いてるので、あまり多くは言うまい)。

メディアの信頼性がいかに脆いものか、少し疑って考えればわかるもの。毎週毎週新しい健康食品だとか健康法だとかが発見されてる時点で、あるある大辞典が胡散臭いことは分かりきった事なのに、視聴率が取れるのでメディアは放送し、視聴者は少しでも楽して効果を得たいがために、たかだか1時間にも満たない検証でそれに飛びつく。

そして今「あるある」を、生み出したメディア自体が徹底的に巨悪のレッテルを貼り、視聴者の大きな不安と怒りの矛先をそれに逸らした上で排出したわけだ。こうして視聴者はまた危機感を鈍らせて、事件は風化され、いずれポスト「あるある」に騙されるという粗筋ができあがる。受け取る情報に対して主体性を持たない限り、同じ轍を踏むのは目に見えている。

にもかかわらず、そんなことがあった矢先に「産む機械」問題だ。社民党福島瑞穂民主党菅直人らを筆頭に柳沢厚労相の発言を巡って、予算審議会ボイコットなんて馬鹿げた真似をしているけれど、まさにこれが思考停止の好例だ。

まず柳沢厚労省の発言は例え話だ。そのことは、「産む機械」と発言する前後にも断りをいれているし、発言の後も速やかに訂正している。その他検証については以下のページでまとめているので一読を。

日本戦後史の鉄則の適用☆柳沢厚労相を「女性は産む機械」発言で辞めさせてはならない - 松尾光太郎 de 海馬之玄関BLOG

例え話としても難有りな表現だとは思うけれど、全体を通してみればそれが主眼であったわけじゃない。一部を切り出して歪曲されかねない「失言」と記したのは他ならぬメディア。そしてそれがいつの間にか「失言」で定着し、「問題」としたのは、脊髄反射した似非フェミニストと、それを口実に職務放棄した野党と、考えもなしに面白おかしく報道したメディアと、森さんの言うところの「主体性をなくして批判する」が故に暴走している視聴者ではないか。こうして柳沢労厚相は「女性蔑視の巨悪」に祀られて、「世間を騒がせたこと」に謝れば、それを「失言に対する謝罪の言葉」と報道されて、より一層辞任要求は火に油を注ぎ、な流れになってしまっている。*1

たとえただの報道であったとしても、そこにあらゆる過程が入る限り、手に入る情報は既に加工されたものだ。加工は仕方が無いことだが、だからこそメディアは、あらゆる人を傷つける可能性があることを自覚せねばならない、とは森さんの言葉だ。視聴者も、「一人称をもって他者への想像を働か」せねばならない。でなければ、俺もタマちゃんを食いにいかねばならなくなる、バーベキューセットを持って。

*1:ただし俺の思考が停止している可能性も否定はできないわけだが